精神分析研究

修行によって欲望をコントロールできるようになれば、他人に振り回されないようになる

投稿日:2017年9月21日 更新日:

自分を高めるには修行をおこうなう事です。
修行を積み重ねることで、人間力を高める事ができます。

人間力が高くなれば、そりゃあ、幸せになれるはず。

そもそも修行ってなんだろう?

 

修行ってなに?

修行は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対幸福)を追求することを指す。
ウィキペディアより引用

仏教の用語なんですね、しかも、儲けるとか、偉くなりたいとか、モテたいから修行をするってのは根本的に間違ってるみたい、欲望から解放されて幸福になることが修行だ。

しかし、欲望から解放されるとはどういうことだろうか、欲望が消え去り、無になるって事だろうか。

そもそも、人間は欲望から解放されることは絶対にない、欲望がないってのは死んだも同然。
フロイト理論でいえば、性的な欲望こそが精神エネルギーの根源だ。

たぶん、すべての欲望から解放されるんじゃなく、儲ける、偉くなりたい、モテたい、といったどっちかというとゲスい欲望から解放されることで、欲望に振り回される事がなくなり、穏やかな日常を送れるという事なのかな。

 

修行をしたら欲望から解放される?

代表的な修行というと滝行や修験道(山登り?)で、厳しい修行をするとゲスい欲望から解放され幸福になれるのでしょうか?

たぶんどんなに厳しい修行を行っても、ゲスい欲望を完全に消し去ることはできないでしょう。

意識的に消し去ることができても、それは完全に消えたわけではなく、無意識に抑圧されているだけだから、消えてはいない。

これをムッツリスケベという。

ただ、修行をがんばったという証を手に入れる事で、ゲスい欲望に溺れる事なく、戒める効果はあるでしょう。

修行の目的は、欲望をコントロールできるようにする事だったのです。

 

自我を鍛える事で欲望をコントロールできる

欲望はフロイト理論でいえば、エスに相当するでしょう。

エスは精神エネルギーの根源で、無秩序でカオス、社会のルールや掟はいっさい無視し、ひたすら快感を求めるエネルギーの集合体。
人間の持つあらゆる欲望の集合体と言ってもいいでしょう。

そんなエスをコントロールし、エスのもつ精神的エネルギーを社会に適応した形で満たそうとするのが、自我です。

エスを自我がコントロールすることで、社会生活に適応することができる。

この自我が弱くなれば、エスが暴走し、欲望のままに行動し、人として破滅してしまう。
だから自我を強化して、欲望の源泉であるエスをコントロールする必要がある。

そう考えると、修行とは自我を強化することになる。

これは容易な事ではありません、
これをやれば、自我が鍛えられるという具体的な方法があるわけじゃない、
自我は、長い年月をかけて、成長と共に出会う体験を通じて少しずつ強化されていくものです。

しいて言えば、心を揺さぶられるような、さまざまな体験を多くすることで、自我を強化できるのではないでしょうか。

 

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